2011年11月19日土曜日

リバプールとビートルズとビートルズと訛り。

マンチェスターの次の日は、リバプール。リバプールといえば、ビートルズ。リバプールを観光していると、ビートルズでどれだけ成り立っているか、分かる。

観光客が向かうさきは、いたるところにビートルズがいるわけだ。もちろん、ビートルズばかりということではないが、ビートルズの存在はでかい。


バスで、マンチェスターからリバプールに移動して、バスターミナルを降り立つと、思っていた光景と違う光景が目の前に。少し薄暗く、街の中心とは思えない。聞こえてくる英語も、訛りが強く、ほとんどがイングランド人で、多種人種のロンドンとはまったく違う。アジア人も珍しいのか、チラホラ周りから見られる。知らない街と、薄暗い雰囲気に、気持ちが少し萎えた。

早々に宿を探すも、土地勘もなく、時間をかけて、宿を見つけ、一休み。そのままではもったいないと思い、歩いて、街の中心に向かうと、ロンドンより小洒落たストリートに出くわし、少し安心。

そのまま、マシューストリートというビートルズのメッカと掲げてある通りに向かって、安心した姿が上の写真。おどけた表情も、100パーセントではない。


翌朝、カーテンを開けると、まさかの快晴。あまり天気を期待していなかったので、テンションがあがる。

宿から数分の場所にある、メトロポリタン大聖堂という建物を目指す。この大聖堂は、かなり新しく、かなりモダンだと聞いたので、期待に胸を膨らませ、歩くこと、数分。


ホープストリートという通りに出ると、ドドーンと見えてくるのが、このメトロポリタン大聖堂。新興宗教の建物のようで、れっきとしたキリスト系の建物。カトリック系の建物だが、設計者はプロテスタントなんだとか。確か、唯一地下に駐車場がある聖堂とも。


天気がよかったのも、ラッキーで、ステンドグラスの反射が半端なく、とても美しかった。コンサート会場のような大聖堂。今まで訪れた宗教建築の中でも、おそらくベスト5には入る。

ホープストリートには、ジョンレノン、ポールマッカートニーなどが在籍した、リバプール・インスティトゥーション・パフォーマンス・アートというカレッジがある。芸術系の大学で、今はポールマッカートニーがオーナーだとか。

このカバンには、在籍した著名人の名前がヒトツヒトツ彫られている。ジョンレノンの名前が、なぜかなくなっていた。おそらく、取られたのだろうか。



HMVも、ビートルズ押し。その後、マジカルミステリーツアーという、ビートルズの史跡ツアーに参加。旅行で、こういうツアーに参加するのは、おそらく初めてで、どんなもんかと思ったが、かなり良かった。こういうツアーでしか行けない場所に、2時間のうちに結構まわってくれるし、ガイドのジョークもよく、楽しめた。


ド派手なバスに乗って、いざ出発。



ペニーレインがバスの中で流れ始めると、ペニーレインの説明が始まる。饒舌なリバプール訛りのガイドがジョークを交え、説明。

かつて、ここの角には銀行があって、これが歌に出てくる床屋の場所で・・・うんぬんかんぬん、と。マニアでもなんでもないが、ほぼ昔から変わらない町並みに少し感動。


ジョンがたびたび訪れていた孤児院がある、ストロベリーフィールド。勝手に、ジョンは慈善活動をするために、訪れていたのかと思いきや、この中に忍び込んで、酒を飲んだりしたのだとか。なんじゃ、それ。そんな1シーンは、2000年の『in his life』という映画で見ることができる。ちなみに、この映画、youtubeでも見ることが出来るので、気になる方は是非。ちなみにちなみに、かなりのリバプール訛りなので、聞きづらいことこの上ない。

また、ツアーのガイドは、ジョンの最初のバンド仲間として登場しており、そのことを自分で言ってた。


ジョンが18歳まですごした家。おばさんと住んでいたそうで、今はナショナルトラストによって保存。ナショナルトラストのツアーで中に入ることも出来るそう。


リバプール、若者が多く、活気があり、ウォーターフロントは良い景色で、坂道が多くて、ビートルズで飯を食っている人が、どれだけ多いのだろうと、思った。

この2年間のうち、リバプールに数ヶ月でも住んでいれば、もっとリバプール英語も話せるようになったのだろうな、と妄想したり。

実際に宿で話した日本人男子は、2年間のワーホリを今半年を終えて、リバプールに移り住んできたそう。今から仕事やら、住まいやらを探すと言っていたが、健闘を祈りたい。

白人が圧倒的に多く、アジア人、黒人の数は少ない。英語とイギリスの文化を体験したいなら、いいのかも。





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