2011年12月29日木曜日

ローマと今と昔と仕組み。

ベネチアから次に向かったのは、ローマ。ローマを出発する最後に気づいたのだが、ローマの中央駅の西口と、東口では、治安が全然違う。僕たちの宿は、治安の悪そうな西口。駅を出た瞬間に、「イタリア、悪い」と思った。虚ろな目のゴロツキがたくさんいた。




ローマは、遺跡がたくさんある。街を歩けば、遺産にぶつかる。それを目当ての観光客が多く、観光客目当ての商売も多い。その割に、浮浪者も多い。イタリアは、国のシステムが終わっているのだろう、と遺跡を回りながら、思った。







地下鉄の券売機の横に、駅員でもなんでもない人が立ち、親切に切符の買い方を教える。そして、「やってあげたのだから。」とチップをもらおうとする。



歩道に座り込み、コップだけを置いて、金をせびるやつもいる。



売店に並んでいると、トントンと叩いてきて、金をくれと言ってくる子どももいる。



僕の顔を指差し、「モリモート」と日本人サッカー選手の名前を連呼し、ミサンガを指に通そうとしてきた、おっさんもいる。



車が信号待ちで、親切に窓を拭き、チップをもらおうとするものもいる。



訳も分からず、サンタの格好をして、太鼓を鳴らし、お金を取ろうとするものもいる。



本物か偽物か、おそらく99パー偽物のブランドバックを路上で売る人もいる。



完全に偽物のブランド品の財布やバッグを売る人もいる。



大量のスカーフを手に持ち、観光客の前に立ち、売ってこようとするものもいる。



遺跡の周りに、昔の戦士の格好をして、「写真撮ろう」と言ってくるものもいる。





僕は、こういう行為に文句は言わない。お金がない人は、小銭でさえも欲しいから。効率の悪い稼ぎ方と分かっていても、(中には、分かってないやつもいるだろうが)とりあえず、お金を稼ごうとする。



ただ、ローマと言う街は、人もたくさん来るし、街も大きい。ドイツや日本のようにペットボトルや缶を回収すれば、お金がもらえるシステムや、観光業を生かした仕事をもっと生み出せるはず。ポテンシャルは大きいのに、ただの人の吹き溜まりになっている。



もったいない街、ローマ。



ロンドンにいたころに、イタリアは政治が終わっているという話をよく、イタリア人から聞いた。今、その話が納得できる。ただ、若者はヨーロッパの中なら、どこでも生活が出来るので、イタリアを去るのだろう。



ただ、イタリアを去ったところで、イタリアはよくならない。これには、もうひとつ理由があると思う。



イタリア人は、自国の文化に誇りを持っている。イタリア料理は世界一で、イタリアのコーヒーは世界一で、イタリアのサッカーは世界一なのだ。



だからかもしれないが、イタリア人は他から学ぶことをしないのかもしれない。





ローマは、観光するには良い街だ。先に書いた文章と矛盾するかもしれないが、見るべきものは多い。歴史が深いだけに、そこから想像できることもおもしろい。



囚人を死ぬまで戦わせたコロッセオ。それを一般人は見て、興奮したのだろう。おそらく、賭けも行われていたのだろう。所詮、処刑される人が戦うのだから、悪い気はしないのだろう。このゲームを考えた人は、すごい。



その試合を取り仕切る興行主は、より面白くなるように、囚人を鍛えたそうだ。さらには、猛獣との試合も組んだりと、バラエティーに富んでいたよう。



今、真実の口として崇められているものだって、元はマンホールの蓋。今から2000年以上も前に、現在にも通じるシステムを編み出していたのだから、ローマ人の発想や、仕組み作りは面白い。



だからこそ、今の退廃したシステムが悲しい。





ローマの次は、ナポリ近くの村で、友人の家族とその友人たちとクリスマスを過ごす。僕の友人・マリオはいないが、イタリアの家族を堪能したい。

 
 
 
 

2011年12月26日月曜日

ベネチアとドラゴンボールとやしきたかじん。

ミュンヘンから、イタリアに入ったのだが、どうしても行きたかった街を一番に選んだ。水の都・ベニス。Googleのマップで見ても、不思議に見える街。思いっきり観光地で、観光客と観光業の人間で溢れかえっているのだろうなと思っていた。




ミュンヘンから、ベネチアまでは、ベローナという北イタリアの街で乗り換えて、ずっと電車で向かった。快適な電車の旅は、途中オーストリアやアルプスを抜けて、走っていく。「世界の車窓から」のBGMが乗車中頭の中で流れていたのは、言うまでもない。






ベネチアの宿は、いわゆるベネチア本島ではなく、居住地区があるメストレ地区。そこからベネチアまではバスで15分弱。ベネチアに着いて、目の前に広がる絵画のような風景にうっとり。



うっとり。



イタリアは、歴史のある国だ。ベネチアは、かつて一つの国だった。たくさんの著名人がベネチアに対する賛辞を送っている。その理由が納得できる。本当に絵になる。



イタリア人は、少しうっとうしくて、観光客に対しては、危険な存在だと思っていた。しかし、僕たちは何も遭うことはなく、素敵なベネチアを過ごすことができた。





その中でも、ハイライトは、ベネチア本島から船で40分ほど行ったところにある、ブラーノ島。カラフルな家は、今では観光地になっている。ただ、その中に、普通に人々が暮らしている。漁で生計を立てている人が多いらしい。







観光地だと思っていたベネチアも、普通に人は生活している。スーパーに入ったのだが、ちょっと高級そうな服を着たおばさまたちが、クリスマスの買い物に忙しそうだった。僕がサンドウィッチを物色していると、やしきたかじん似のおばさんで、酒焼けよろしくな声で、「その商品取ってくれへんか?私、届かへんから。」と言ってきた。



ベネチアのおばさんは、全員ではないが、結構高級そうな服を着て、カーリーなパーマで、やしきたかじんに似ていて、声が低い。



一方、おっさんは、そこまで高級そうな服は着ておらず、おっさん同士でつるみ、暇そうにエスプレッソを飲んだり、ぶらついたり。



嫁に吸い取られているのか、ベネチアのおっさんは。





予想と違い、ベネチアはたくさんの人が生活している。本島は、車も自転車も乗ることが許されていないので、郵便も、宅配も、人が台車を押して、運んでいく。何百の運河にかかる橋を、重そうな台車を押して、運んでいく。



僕たちの生活が、道路が運河になり、車がボートになる。それがベネチア。



2011年12月25日日曜日

ミュンヘンと週末とエネルギー。

ベルリンを離れて、南ドイツのミュンヘンに到着。ミュンヘンは、ベルリンとうってかわって、ヨーロッパっぽさをものすごく感じる。もちろん、ドイツはヨーロッパなので、「ヨーロッパっぽさ」という形容が正しいか、分からないが。





ミュンヘンの今の時期の最大の目玉は、クリスマスマーケット。ミュンヘンの中心を歩けば、幾つものクリスマスマーケットにぶつかる。



ドイツのクリスマスの装飾は、シンプルで良い。木製の飾りが多く、それを目当てにたくさんの日本人観光客が訪れていた。おそらく日本では買うことのできないデザインなのだろう。確かに、日本でみたことのない飾りがたくさんあった。





ミュンヘンに泊ったのが、週末を挟む4日間。なぜか、金曜日と土曜日の宿代が高く、ドミトリーに泊ることにした。基本的にドイツの宿は安いのだが、この週末のミュンヘンは以上に高かったのだ。



泊って気づいたのだが、金曜の夜にはドイツ1のサッカーチームである、バイエルンミュンヘンの試合があった。僕らの泊った宿にも、赤と白のストライプのユニフォームを着た若者がたくさんいた。夜の8時か9時ころまで宿で酒を飲み、そこから試合会場に向かっていった。



そして、試合後、会場から宿に戻ってきた同じ部屋に泊った4人の男子たちは、そそくさとシャツと靴を着替え、クラブに繰り出した。



次の日は、4人の女子が同じ部屋に泊りに来た。もちろん、サッカー目当てではない。部屋で、僕たちがいることに気を配りながら、酒を飲み、ガールズトークをしていた。そして、9時ころになると、化粧をしはじめ、ドレスアップをし、クラブに出かけてった。聞けば、ミュンヘンは、ドイツで一番の街らしい。彼女たちは、フランクフルトというドイツの経済の中心地から来ており、週末の旅行で、ミュンヘンに来ていたのだ。僕と嫁さんに、「今晩の予定は?」なんて、聞いてきたもんだから、「疲れたから、寝るで。夢の中で、踊り狂うけどね。」と言ってやった。(嘘)






ちょうど、ドイツに滞在中に、ドイツの発電量が、原子力を自然エネルギーが抜いた、というyahoo Japanのニュースを見た。ドイツは、福島事故のあと、国民投票で原子力廃止を決めた国。そこから、こんなにも行動が早いものかと感心した。



ドイツで、1週間ほど暮らしてみて、電気関係、お湯関係のトラブルは一切なかった。とは、いうものの、一番は火力発電が占めているらしいが。ただ、原子力がなくても、勤勉でシステムがしっかりしているドイツ人なら、いとも簡単にやってのけられるのだろう。





ミュンヘンは、正直、ベルリンには及ばないが、住むには良さそうだ。ただ、日曜日は、どこも店が閉まっている。朝のパン屋と、13時に閉まるカフェを除いて。





2011年12月15日木曜日

ベルリン、壁とホロコーストとクリスマスと壁。

寒かったオスロの次に訪れたのは、ドイツの首都・ベルリン。ドイツの経済中心地は、首都のベルリンというより、フランクフルトにあるようで、ベルリンの存在は以前から気になっていた。首都なのに、首都らしくない街。

ベルリンに関する知識といえば、ベルリンの壁のみ。だから、本来は別に行くつもりなんて、サラサラなかった。

ただ、出発前に、ベルリンはいいぜ!フランクフルトは、行く意味ないぜ。なんて、友達から聞いたもんだから、期待は少しあったといえば、あった。

到着して感じたのだが、日本の感じに似ているということ。人は穏やかで、シックな色使いで、小物使いがうまく、オシャレ。街もロンドンやオスロとは違い、ネオンがあり、建物もそこまでヨーロッパっぽくない。愛想が無いわけではないが、ちょうどいい距離感がある。

嫁さんの友達から聞いたドイツのご飯を求めて、東ベルリンに到着。おそらく、ポテトと小麦粉を混ぜて練ったのだろうという、焼きうどん風の食べ物・スパッツェル。4ユーロちょっとでかなりの量が出てきた。



ご飯を食べて、ベルリンの壁が残るEAST SIDE GALLERYへ。ロンドンでもレンタルサイクル制度は導入されているのだが、ここベルリンでも。しっかりと太陽光発電を使っている様子。




僕たちが小学生のころに、壁は崩壊。ものすごく身近な歴史を目の前にしても、実感はわかなかった。当時は、この壁の向こうと、こちらで、生活も仕事も、食べ物も、全て違っていたんだな、なんて。






ホロコーストの記念碑を訪れて、東と西をつなぐバカでかい門を見て、バカでかい議事堂を見て、飯食ってるサンタを見かけて。







ベルリンにいると、新しい鞄が欲しくなる。すれ違う人、すれ違う人、それぞれがオシャレな鞄を持っているからだ。

ベルリンにいると、新しい靴が欲しくなる。すれ違う人、すれ違う人、それぞれがナイスな靴を履いているからだ。

ベルリンにいると、日本を思い出す。いい距離感で、いい雰囲気で、ちょうどいい。

ベルリンにいると、後に向かうスペインが億劫になってくる。スペイン人旅行者のデカイ笑い声が耳障りに感じるからだ。

あぁ、ベルリン、ほんとに、いい街。


2011年12月12日月曜日

ノルウェーと裸身像と、エネルギー。

住み慣れたロンドンを出発し、最初に向かったのは、スコットランドのエディンバラ。曇っていて、天気が悪くて、なんてイメージがあったのだが、着いた日は、歴史的な強風。

生まれて初めてだろう、飛行機で吐く寸前までいったのは。飛行機の窓から見えるエディンバラの景色は、僕の頭の中のイメージと大きく異なり、近代的な建物がたくさん。その奥に、岩でつくられたようなゴツゴツした建物が広がっていた。横に座っている嫁さんに、『案外、建物が近代的な感じやなぁ』と、気を紛らわせるために言おうとしたものの、気持が悪すぎて、言えなかった。しまいには、片手に備え付けの袋を握り、いつでもどうぞ、という気持ちだったが、何とか耐えることができた。

僕たちは格安航空を使ったのだが、格安航空というのは、ほとんどのサービスがない。水でさえ、お金が必要になってくる。そんなことにクレームを言うつもりはさらさらないのだが、ひょっとすると、ゲロ袋に対しても、課金されるんじゃないか、と頭をよぎった。その貧乏根性が、ゲロを止めてくれたのかもしれない。(嘘)





スコットランドは、強風と、気持悪さと、時間の無さで、ブログに書くことはしない。ただ、ひとつ。もっと早く行っておくべきだったし、もっと日程を取るべきだった。

スコットランドに行くつもりは、最初の計画ではなかった。それが、航空券の値段を調べてみると、次に向かうノルウェーのオスロ行きのチケットが、格段に安かったのだ。もちろん、スコットランドに行って、ご飯を食べて、宿に泊って・・・という風に過ごすと、高くはなるのだが、最初そんな気持ちで向かった場所だった。それが、意外に良かったのが、ちょっと残念。





そして、今はノルウェーのオスロの日曜日の夜。ここに来た目的はただ一つ。大学時代に仲の良かったベンというやつに会いに来たかったのだ。僕の英語力も、6年前に比べると伸びているだろうし、ベンも仕事をして、随分大人になっているだろうな、と思っていたから。

映像を見せてもらったのだが、相変わらず、スノーボードは巧いし、笑い方は変わらないし、エキサイティングなスポーツは好きなようだった。

ただ、英語で話して初めて、ベンの違う一面が見れた。6年前は、ベンが日本語を話していたし、僕らは大学生だったから、普通の若者のような感じだったが、6年経った今、ベンって、めちゃ賢いやん、と何度も思わされた。

もちろん、日本語を話す外国人は、みな賢いのだが、6年前の僕にはそれがわからなかったのだろう。

彼は、今ノルウェーの政府のために働いている。日本でも今議題に挙がっている、エネルギー政策が、彼の担当。ノルウェーは、スウェーデン、デンマーク、フィンランドなんかと、エネルギーを共有しているそうだ。

ノルウェー自身は油田があり、エネルギーに困っているということではないのだが、将来を見越して、持続可能なエネルギーは、どういうものを使えばいいのかを考えているらしい。

ここで、エネルギー問題の話をしても、仕方ないので、興味がある人は、また次の機会にでも。



僕たち日本人が考える北欧は、ムーミンであったり、IKEA、NOKIAなんかのデザインもの、女性ならマリメッコ、ロイヤルコペンハーゲンなど、どれがどこの国か分からない感じかもしれない。僕もその一人だった。

でも、ノルウェーはほかの北欧の国に比べ、貧しく、成長が遅かったらしい。なので、一般市民が嗜好品をそこまで買うことがなかった。そのことが、いろいろな産業において、隣国から遅れを取る原因になったそうで。ただ、北海に油田を発見し、市民のレベルもあがってきて、ここ30年ほどで隣国に追いついてきた。

だから、今では街に他の世界都市と変わらないお店や、インテリアショップがたくさんあった。物価が高い、物価が高い、とロンドンにいるときに、何百回も聞かされたが、まさにその通り。物価が高いと言われているロンドンより、少し高い感じか。ただ、家賃はロンドンの半額くらいだろうか。安い。


ベンと彼女が住んでいる家、中心から歩いて、数十分の利便のいい土地。周りにたくさんの大使館がある。家賃が安い。


彼女とベンは、この3泊4日、付きっきりだった。本当に、ありがとう。


クリスマスマーケットなんかにも連れて行ってくれた。おかげで現地の人とも触れ合えることができた。ベンも、ノルウェーワッフルを手にして満足。このワッフル、家でも作ってくれたのだが、ベルギーワッフルの丸型とは違い、ハートが3つ重なるミツバのようになっている。ノルウェーのセンス。


これが、圧巻の民族舞踊。コサックダンスを混ぜたり、独特な間で小刻みにジャンプを繰り返し、ステッキの先に吊るされた帽子を蹴り落とすというダンス。これをパロディーにして、帽子を持っている女性の顔を蹴るなんて、CMもあった。


ベンが、クリームソースを作ってくれた。ノルウェーの昔から食べられている食べ物だそうで、美味しかった。ますます、意外な面を見れた。


このテーブルで、ずっとひたすら話をした。6年前は想像もつかなかったけど、エネルギー問題の話や、将来の話、孫正義の話、日本の政策の話、いろいろできた。ベンは、博学である。自分の親父へのお土産も決まった。



この公園はよかった。


ロンドンでは、たくさんの子どもがサッカーを楽しんでいたのだが、ノルウェーではアイスホッケーならぬ、バンディを楽しんでいた。ところ変われば、いろいろ変わるものである。



ノルウェー、これから注目の国です。ありがとう、ノルウェー、ありがとう、二人。

2011年12月6日火曜日

BYRONとバイロンとミルクシェイクと仲間。

あっという間に、2年経つ。異国での経験は、自国での経験より時間が経つのが早く感じる。いや、前の会社の2年半もあっという間だったか。新しい経験は、いつも自分を高めてくれるし、スピードが早い。

もう、街はクリスマスの装いで、何やらロンドン中心は買い物客を出迎えるクリスマスの装飾がすごいようで。

僕が働くバイロンでも、七面鳥を使ったターキーバーガーが登場した。クランベリーソースに、ホウレン草に、グリルされたジューシーなターキーがドカンと柔らかいバンズにくるまれている。

美味かった。舌が痩せたのか、最近結構何でも美味いと思うようになってきた。

そんなわけで、12月に入り、1年間在籍させてもらったバイロンを退社した。途中から移籍した一番忙しい支店で最後を迎えたのだが、この店の週末は盆と正月を一緒に迎えたような忙しさだ。

昼間には子連れの客で賑わい、大人を気取った子どもたちがバーカウンターに腰をかける。『僕は、ミルクシェイクを頼むんだ!しかも、オレオのやつをね!』なんて、めちゃめちゃバタバタと仕事をしている僕に話しかけてくる。そうかそうか、でもおじさんはオレオミルクシェイクを作るのが、一番面倒で、嫌いなんだよ、なんては言えない。あんな、美味しそうにシェイクを飲む子どもたちの表情を見ると、一生懸命作らなくては、なんて思わされる。

また、一生懸命作っていると、その子どもたちは僕の手元をじっと見てくる。ああやって、僕らが飲むミルクシェイクは作られているのか、てな具合で。


1年間、ミルクシェイクをざっと5千杯は作っただろう。旧式のマシーンをあえて使うバイロンは、独特の柔らかいシェイクを作ることが出来る。その分、作るには結構な筋肉が必要になる。右腕の裏側は、ミルクシェイク筋がついた。

もう、見知らぬ子どもにミルクシェイクを作らない。絶対、作らない。一生、作らない。あー、終わったーー!しゃーー!!って、いう気分でいっぱいである。

金髪の、青い目をした、とってもかわいい子どもが『私は、ストロベリーのミルクシェイクを飲みたい。』なんて、バーカウンター越に言ってきても、『俺、もう、バーテンダーちゃうし!!』って、胸を張って言える。


そんなこんなで色んな国籍の、色んな人と一緒に働けたバイロンは、素敵なハンバーガーレストランである。ロンドンに行った際は、是非行ってほしい。もちろん、ミルクシェイクも一緒に注文してほしい。ちなみに、ミルクシェイクは何味でもいいのだが、『Thickでお願いします。』ということを忘れずに。さもないと、下手なバーテンダーだと、シャバシャバのものが出てくることもあるので。


本当に素敵な仲間に出会えたバイロン。ありがとう。最後に、コソっとみんなからの寄せ書きをもらった。正直、予期していなかったので、もらったときは思わず泣きそうになった。そのレターの表紙は、『5歳の誕生日おめでとう!』なんて書いてある誕生日カードだったが、そんな冗談も嬉しかった。カードの中を開けて、たくさんの人からの寄せ書きを見て、本当にウルっときそうになったが、何せ外国人の字の汚いこと、汚いこと。なんて書いてあるか、読めないのも多々あり、泣きませんでした。いや、泣けませんでした。


バングラディッシュのカジ。愛想がよくて、頭もよくて、働きもの。言葉がダメでも、愛想は大事だ。


僕のことを、Mr.タイソン!と呼んでいたブラジル人のパウロ。おそらく外国で働くには、英語は話せないといけないのでは?なんて思っている人も多いと思うが、彼の英語は、まったく理解不可能。


ジンバブエ出身のジョン(左)とラトビア出身のアンナ、二人はカップル。来月、数日家に泊めさせてもらう予定。


スペイン・マラガ出身のセルジオ。マラガと聞けば、青い海と空をイメージするだろうが、彼は4年間引きこもりだったとか。几帳面で、でも愛嬌があって、仕事は出来なかったけど、キッチリしてるやつ。


そのセルジオと同郷・スペインのマドリード出身のダビ。小さくて、愛想があって、良い奴。いつも、僕のことを見付けては、『タァァイ!』と。スペイン語交じりで、英語を話す良い奴。


アルジェリア人の古株・サム。ゲンキ!?とコンニチワを覚えて、会えば、お辞儀をして、握手をしてくれる。仕事は遅いけど、お客は後回しだけど、適当ではない。


どんだけ忙しくても、冗談をめちゃめちゃ言ってくるスペイン・マドリード出身のマリオ(中)。小さいけど、細いけど、いつも明るくムードメーカー。日曜の夜は、締めながら、こそっとビールを飲んだ。

そして、左がマネージャーのギャレス。ビックリしたのが、彼がゲイだったということ。ゲイは多いが、まさか彼はゲイだと思わなかった。ゲイだけに、本当に几帳面で、気分屋で、なかなか距離をつかめなかった。ただ、最後は良い感じで終われた。


1ヶ月前に入ったバーテンダーのレオナルド。ルーマニア出身で、小さいころよりイタリア・ローマで生活。こいつも愛想がよくて、イタリア語、スペイン語、ロシア語、ルーマニア語、と話せるやつ。こんな奴に、そんだけの言語が話せると思うと、言語の壁がグッと低く感じる。このショット以外にも、数ショット撮ったのだが、『写真撮って!写真撮って!』とやたら連呼してきたから、『なんで、お前の写真ばっか撮らなアカンねん。わしゃ、お前のカメラマンか!』と怒鳴った。


渡英前は、仕事場の人に対して、自分の意見をブツけるなんてことが出来なかったけど、だいぶ出来るようになったと思う。ここでは、ガンガン言わないと、どうしようもない。また、英語のレベルもバラバラなので、きっちりと言わないと、誤解で後でややこしくなる。

めっちゃ、腹も立ったし、その分めっちゃ楽しくもあった。一番の良きパートナーである、フランス人のハッサンは、写真にいない。で、みんなの寄せ書きにも書かれていない。それは、書いたり、最後の写真を撮ると、余計に寂しくなるからだそう。


明日、最後にパーっと飲んできます。

ミルクシェイクじゃなくて、酒を。