2012年1月20日金曜日

バルセロナとガウディとぬいぐるみ。

マドリードから、バルセロナまでちょっとハイクラスな夜行バスを使った。正直、もっとすごいものを想像していたので、ぼちぼちといった感じ。ただ、ネットも見られて、テレビも各席についていて、水も飴ちゃんももらえたので、コストパフォーマンスはよかった。




バルセロナは、ガウディの建築を見る目的で向かったのだが、期待通り素晴らしいものだった。友人のアドバイス通り、街の北に位置するグエル公園には、途中でパンを買って出かけた。



これが正解で、けっこうな坂道を上っていき、素晴らしい景色を目の前にすると腹もへるもんである。パン屋のパンが美味く、日本のパンを食べているようで嬉しかった。



バルセロナは、2泊と短く、体調も悪かったので、宿で休憩をたっぷり取れたような気がする。その体調の悪さを吹き飛ばすくらい、グエル公園をはじめガウディの建築は素晴らしいものだった。想像とはまったく違うサグラダ・ファミリアが完成した後に、もう一度見てみたい。





そういえば、サグラダ・ファミリアでこの旅で一番欲しいと思ったお土産を見つけた。サグラダ・ファミリアの壮大さとは大きくかけ離れた、ぬいぐるみ。購入はしなかったが、このキャラクターはどういう会議でOKされたのだろうと思った。このキャラクターは、このぬいぐるみ以外に商品がなかった。

2012年1月18日水曜日

マッシュルームとマドリードとファンシー。

イタリアのミラノには、ほとんど行く気がなかったが、スペインへの飛行機が安かったので、ミラノに行った。そして、スペインのサラゴサという街に到着。ミラノもサラゴサも、どっちも行く気がなかったが、非常によかった。




こういう、一切期待していなかった街が良かったりすると、「あー、もう一回来なあかんな。」と思う。特に、ミラノなんかは今回の僕と嫁さんの服では申し訳ない場所が多々あり、僕も嫁さんも何故か口をそろえて、「うん、ミラノは、また来る気がするわ。」と言った。(まじか。)



スペインのサラゴサも同じ。街の中心の市場は、活気があって、みかんが安かった。この旅行でみかんを大量に食っているけど、サラゴサのみかんは安くて甘かった。おっさんがつるむ感じはイタリアと似ているけど、少し廃れた町の感じは嫌いではない。



ミラノもサラゴサも1日では何も分からないけど、良い街だろう。





サラゴサからマドリードに到着して、今回初めて日本人宿に宿泊した。日本人宿では、良い出会いもあった。若いのに多くの日本人が海外で活躍していると実感した。良い刺激になった。


マドリードは、ほかのスペインの街に比べて、ご飯が美味しく、安い。アストゥリアスという北スペインの地域が一番美味しいとマドリード出身のやつが言っていたが。


マドリード出身の友人は、マドリードが世界一の街だという。


マドリードに行った日本人は、スリが多く少し危険だという。


マドリードに行ったイングランド人は、とても楽しく安い街だという。




もちろん、たくさんの人が集まる首都だから、スリもいれば置き引きもある。日本大使館の情報によれば、「首絞め強盗」も現れるらしい。「首絞め強盗」はさておいて、スリも置き引きも、スペインに限らず日本でも起こりうる。だから、言葉や文化が違うのだから、少し注意をすれば、避けられるのだろう。

僕たちは幸い、注意をしていたおかげか、何も起こらなかった。

マドリードは飯が美味い。お酒が安い。飯が美味い。お酒が安い。お酒とつまみが好きなら、マドリードは最高だろう。



一方、少し問題になっているのが、街の中心で、無許可で商売をする移民。彼らはおそらくスペイン語がままならないのだろう。白い布にブランド商品やDVDや時計などを並べて商売をする。ひとたび、警察の姿が見えると白い布についてある紐をひっぱりあげ、そそくさとその場所を離れていく。



警察が一斉に囲い込み、取り締まろうと思えば、一瞬で取り締まれる。ただ、あえてそこまでしないのは、摘発すればもっと非道な犯罪が増えるからだろうかと思った。

ローマの警察の感じと、お金をせびるだけの人達を思えば、幾段ましな気がする。違法だろうが、仕事をすることは、お金も稼げ、やることも増える。

スペインは、赤字がどんどん増えているとニュースで見た。しかし、首都のマドリードだけを見れば、一切そんな気がしない。



その中でも一番気になったのが、telephonicaという新しい商業施設。最新のゲームと、最新の携帯、最新のテレビなどの商品が売られており、子どもたちが大画面で、ゲームを楽しんでいた。日本でも見たことがない電気屋さんに、ちょっと衝撃をうけた。



マドリードは、素晴らしい街。飯が美味くて、酒は安い。人はよくて、警察もしっかりしている。

 

2012年1月8日日曜日

新しい家族と友達と兄弟と。

クリスマスとは・・・なんて堅く語る必要はない。日本のクリスマスなんてしょせんお祭りだし、みなが楽しければそれでいいじゃない、という気持ちはある。


ただ、今回のフォリアニーゼというイタリアのクリスチャンの多い村でクリスマスを過ごせたことは本当に財産になりそうだ。

「財産になった。」とあえて書かないのは、また僕たちはフォリアニーゼに戻る必要があるし、何度か戻るうちに本当に財産になるからだと信じている。




マリオの実家の隣に、ピッツァレストランがある。そこのピッツァは美味いと何度もマリオに言われた。だから、機会があれば、食べればいい、と。ただ、マリオのマンマはそれを許してくれないだろうけど、なんて何回も言われた。


そのピッツァを食べる機会を与えてくれたのは、その家の娘のテレサ。8歳になるおてんばな女の子。僕がベッドで寝ていたときに、何やらリビングから、嫁さんと小さい女の子の声が聞こえるな、と思った。しかも、女の子はイタリア語を話している。その割に、嫁さんからも笑い声が聞こえてくるのだ。

嫁さんは、イタリア語が分からない。なのに、笑い声が聞こえてくるなんて、どんだけ楽しいのだろう、と思い、重たい体を起こし、リビングに向かった。

僕を見るなり、一瞬にして怖がった表情になり、嫁さんの後ろに隠れるテレサ。しかし、だんだんと打ち明け、僕が旦那だと知ると、「アァ~」なんて言いながら、嫁さんにべったりをくっついていた。

テレサは、かなり嫁さんが気に入ったようで、何度も何度もハグしては、ほっぺたにキスをしては、嫁さんにイタリア語で話しかける。

でも、テレサはお母さんに何時までに戻ってこなきゃだめよ、なんて言われていたもんだから、泣く泣く隣のピッツァレストランへと戻ったのだが。



次の日も、次の日もテレサは、マリオの家にやってくる。マリオの家に来るというよりは、嫁さんに会いにくるという感じ。そして、テレサの2番目のお兄ちゃんを連れてきて、嫁さんを紹介する。2番目のお兄ちゃんも、テレサも、イタリアのサッカーチーム・インテルが好きだから、僕は「ナガトモ、ナガトモ、インテル!!」とコミュニケーションを取ろうとした。



そして、僕たちが出発の前夜、またテレサは、嫁さんのところにやってきて、パソコンの翻訳機能を使いながら、嫁さんとコミュニケーションをとる。お母さんから戻ってくるようにと言われていた時間が迫ったころに、パソコンの翻訳機能に、「家のピザ食べにきてほしい。」と入力しだした。今日?と聞くと、満面な笑みで、何度も何度もうなずく。僕と嫁さんは、お腹いっぱいだったが、こんなに喜んでくれているので、ということで半分ずつ食べる、ということでピッツァレストランに向かうことに。



レストランにつくと、テレサのお母さんは「え~、どうやって話をしたの?」という表情。僕たちに、ごめんね~、おてんばで、なんて表情を浮かべながらも、何食べる?と聞いてくる。覚えたてのイタリア語で、「マルゲリータ、半分、食べる」と伝え、座るように促され、子どもたちと一緒にマルゲリータを食す。うまい、うまい、ただ、お腹がはちきれそう。



コーラを飲みながら、マルゲリータとモッツァレラチーズの揚げ物と、ちょこちょこいただき、みんなで「たけし城」の若かりし頃の井出らっきょを見て、ひと時を過ごした。





テレサの兄弟も僕たちと仲良くしてくれて、2年後の8月、お祭りのときに戻ると約束。そのころには、イタリア語を習得して、戻れるように。子どもたちと約束したことは、守りたい。だから、帰国後すぐにお金を貯めよう。イタリアに新しい家族と友達と、小さい兄弟が出来た。



イタリアは良い国だと思うが、家族と触れ合えることが出来れば、もっと良い。2年後の8月に戻れるように、頑張ろう。


2012年1月1日日曜日

南イタリアの小さな村のフォリアニーゼとバー。

日本人は、イタリア人に似ている、とイタリア系のイギリス人の人に言われたことがある。もちろん、それは容姿の話ではない。それは、家族の絆の話。






クリスマスに訪れたのは、友人のマリオはいないがマリオの実家。南イタリア・ナポリから50キロほど離れた場所にあるフォリアニーゼという村。人口3,000人なんて聞いたいたから、どんな小さい村かと思っていたら、3,000は超えているだろうというくらいの人。そして、若者。クリスマスシーズンは、日本のお正月と一緒で、都市に出ている人も実家に戻ってくる。そして、戻ってきた若者は、連絡を特にとることなく、村に10件はあるバーに集まる。





家から車で、村の中心に向かい、バーの中に人がいるか確かめる。そこにグループがいれば、バーの前に車を止めて、バーに入ってビールを飲む。久しぶりの再会に、会話も弾む。そして、2件目、3件目とバーの梯子は続く。





夜の8時、9時を過ぎたころに、いったん帰宅。



お母さんに、「どこ行ってたの?」と聞かれ、「バー」と答えると、「マンマミーア!」と一言。暖炉がある、キッチンに家族が集まり、食事が始まる。



この旅の前に、友人のマリオが、何度も胃をでっかくしていけよ、と忠告してきた。何回も、何回も。食事が始まって、その意味がわかった。





目の前に、前菜として僕の好物の魚介類が出てきたもんだから、ちょっと欲張って多めに食べた。そして、そのあとに、暖炉の火で焼いた牛肉と豚肉のステーキと、ピリ辛のソーセージ。この時点で、僕は吐きそうだった。ただ、食事が美味しいもんだから、食べたい気持ちは強いのだが、空腹でのバーの梯子のせいで、酩酊状態。



マリオの弟の、ロベルトが気を遣ってくれ、お腹いっぱいやろ?と何度も聞いてくれ、僕は白旗を上げて、寝室に戻った。



その後、自家製のティラミスを僕は食べれず、寒気が一気に訪れ、まさかの本気ダウン。息が荒くなり、毛布に毛布を重ねる毛布のミルフィーユ状態で、いつの間にか就寝してしまっていた。