2011年10月30日日曜日

ポルト、ポルト、ウマとイメイヤ。

ポルトガル発祥の地と言われているポルト。ただでさえ、ポルトガルは日本人にとって印象が薄い。その発祥の地と言われても・・・というのが、本音。

リスボンに続く第2の都市ということで、今回のポルトガル3泊4日のうちの、1泊を“せっかくなので”ポルトに当てた。

これが、意外なヒットで、ポルトいいじゃん、なんて、ついつい東京弁が何度出たことか。



リスボンから、ポルトまではバスの移動。バスで約2時間半。高速道路も日本となんら変わりない。バス代は、おそよ1500円ほどだったか。安くて、快適、さらに、wifiも使えるとあって、僕がハイパ^メディアクリエイターなら、太鼓判を押している。ポルト、いいじゃん。



ポルトに着いて、驚いたのが、だいぶ霧がかかっていたこと。その霧が赤い瓦屋根を幻想的にさせ、赤い瓦の屋根に白い壁、ポルトいいじゃん。なんて、東京弁で、何度つぶやいたか。





川沿いから、中心へ向かうのに路地を通った。人の生活感が、満々の路地を大きなかばんをかついで歩くアジア人3人。家の中からおばあちゃんに何回も不思議がられた。こんな路地は、おそらく観光客は来ないのだろう。

ポルトいいじゃん。この路地裏。


お昼に着いたので、鳥を食べるために、坂道を歩いて、お目当ての店に。ポルトといえば、ポルトワイン。酒も飲めないのに、白ワインを。味気の無い、おそらくポルト産ではないハウスワインをなみなみ注がれ、乾杯。


一人3,4本の鳥で、3ユーロほどか。追加で注文したご飯が、バターか、大量の油かで炒めていて、美味。パサパサのご飯なんざ、ご飯じゃないと思っていたが、パサパサのご飯が美味い美味い。こら、美味い。鳥も美味しく、3人で1500円弱。お店の雰囲気もよかったが、最後にお釣りを忘れた“振り”をされた。

わたしたちは、そんじょそこらのお人よしでは、ございませんので、『おい、コラ。釣り返さんかい、おっさん。』と恫喝し、お釣りをゲット。


リスボンのホステルもよかったが、ポルトのホステルもよかった。かなり広いリビングにかなりでかい液晶のテレビ。(サムソン)。日本帰ったら、こんなリビングにしたいわ~、と何度思ったか。将来の一つの夢は、リビング25畳以上に決定。ポルト、ほんと、いいじゃん。


その後、ポルトワインのワイン工場群に向かう。たくさんのワイン工場があり、いくつかはタダで入場、そして試飲が出来る。

宿でもらった若者が作ったポルトのパンフレットによると、ポルト人はポルトワインを飲まないんだとか。高いから。ただ、スーパーには、ワイン1本100円から売っていた。


赤ワインは、甘い甘いポルトワイン。白ワインも甘い。酒の飲めない僕には最高の味だった。


一人2,3杯試飲をさせてもらい、樽が置かれているセラー内を案内してもらい、ここのワインについて勉強。(飲んでいたため、ほとんど覚えていない)







川と橋と、丘のバランスが良かった。ポルトは、学生が多く、リスボンより活気があるように感じた。夜に出かける場所も多いし、オシャレな場所も多い。


夜になり、ガイドブックに書かれていたお店に向かう。ここでは、イカやタコなどの魚介類を食べようと意気込んだ。

しかし、『これをくれ。』と頼んでも、『ない。』の一点張り。ポルトガルでは、1人前か、半人前かを料理を出してもらうときに選べるらしく、やたら、『一人前?半人前?』とポルトガル語で聞かれた。ちなみに、『ウマ?イメイヤ?』と何度も。

何とかポルトガル辞書を片手に、『コレ、ヒトツ!』と頼んでも、『ない。今日は、豚の丸焼き!』といわれるので、『オーケー。ナラ、シェア シタイ!』というと、『ウマ?イメイヤ?』と聞かれ、『イメイヤ』の意味がまったく分からなかったので、『ウマ』と答えると、『OK、OK、なら、スープは?ウマ?イメイヤ?』とさらに聞かれ、『ノーノー、スープ、ノーシェア。』と答えるも、『ウマ?イメイヤ?』と聞かれる。

このやり取りを、何度も繰り返すので、これはもしかして、禅問答なんじゃないかと思えてきて(嘘)、とりあえず、適当に、『ウマ』と『イメイヤ』で返答した。

そして、野菜のスープが到着して、魚の天ぷらが到着して、最後に着たのが、豚の丸焼き。


人生で一番肉肉しかったのじゃないかと思うくらいの豚。ほとんどが骨かと思いきや、ほとんどが肉。また、ソースの味付けが美味い。また、そのソースが豚に染み込んでいること、染み込んでいること。

おい、おっさん。おっさんが薦めてくれた、豚、最高やないか。ほんまは、今日は無いって言ったイカもタコも、あるけど、どうしてもめっちゃ豚の仕上がりがよかったから、豚を薦めてくれたんちゃうか、とさえ思った。(嘘)

こんなに食って飲んで、一人1000円弱。ポルト、かんなり、いいじゃん。


その後、宿に帰り、近くのカフェバーに。閉まっているのか、開いているのか分からない明かりの扉を入ると、暗い中庭に結構人が入っていた。いい感じの若者が多かった。そこで、友人オススメのサングリアを飲むことに。


値段は覚えてないが、安かった。こんないい感じの店で、外で、こんな大量のお酒、この値段設定ええな、と思った。単純に思った。

これ、大阪なら本町あたりの、隠れ家カフェバー的なところで同じ量のお酒飲んだら、えらい高いやろな、という話をした。

日本なら、雰囲気モンの趣向が強いから、雰囲気代として、だいぶ上乗せするやろな、という話もした。

ええ感じの音楽、ええ感じの客層、ええ感じの店主、ええ感じの暗さ。

ポルト、いいじゃん。





ポルト、ほんと、いいじゃん。


ポルトには、世界遺産が多いそう。僕たちは、実はほとんど見に行かなかった。おそらく。世界遺産だからというチェックをせずに、ブラブラ歩いた。

おそらく、この建物すげ、と思ったのは世界遺産だろう。ただ、ポルトの町並みは、かなりよくて、町自体が世界遺産なんなんじゃないかとさえ、思った。(大げさ)



ぜひ、ポルトへ。

ポルト、いいぜ。

2011年10月22日土曜日

リスボンと、飯と、栄枯盛衰。

ヨーロッパを1ヵ月かけて、周っていた友人と落ち合うポイントは、ポルトガル。彼にとっての、旅の最終段階。1ヶ月前にロンドンを出発した友人に会うのが、本当に楽しみだった。1ヶ月の一人旅は、どれほど彼を大きくしているのか。

なんていう書き出しで始めたものの、僕たちにとってもポルトガルという国は、初めてで、12月から始める旅の前哨戦でもあったので、自分自身が物凄い楽しんだ。


ポルトガルという国は、日本から直接行くことが出来ない。それだけに、あまり馴染みが無く、情報も入ってこない。確かにスペイン料理や、スペインバルなんてものはよく聞くが、ポルトガル料理なんて聞いたことないし、おそらく言われてもピンと来ないだろう。

僕もそうだった。

年間1%前後の低い成長率に、EUに対して財政支援を申し込むなど、ニュースで聞くポルトガルの印象は良くなかった。

ただ、気候もよく、物価も安く、料理も美味しくハズレがなく、人も優しい。

こんな風に書けば、本当に良い国のようだ。もちろん、誇張はあるかもしれないが、間違いなく悪い国ではない。

英語を話す人がそんなに多くないので、言葉には苦労をするかもしれない。ただ、覚えたてのポルトガル語で、道を尋ねれば、ポルトガル語で丁寧に何度も教えてくれる。何を言っているか、ほぼ分からないが、ジェスチャーでなんとかなった。

日本に置き換えてみると、いきなり外国人が英語で道を尋ねてきたら、おそらく大半の人は、エッとなるだろう。でも、片言でもいいから日本語で道を聞いてきたら、教えるだろう。だから、ポルトガル語でも道をしっかりと教えてくれる人は、僕の中では良い人なのだ。



空港のトイレ。Renovoというパソコンメーカーは聞いたことがあるが、Renovaというトイレットペーパーメーカーは初めて聞いた。『I LOVE SEXY PAPER(私は、セクシーな紙が好き)』と書いてあるが、僕はセクシーだろうが、セクシーでなかろうが、きちんと糞を拭ければ、どっちゃでもよい。

日本のスピード証明写真の機械があった。言葉以外は、全て日本と同じ。現地の人にとっては、なぜアジア人?という感じだろう。おそらく、中国人か日本人か、韓国か、どこかわかってはいないだろう。


こんな素敵な乗り物もある。坂道が本当に多いポルトガルの首都・リスボン。


タイルの壁が、印象的だったポルトガルの首都・リスボン。


坂も階段も多い、そしてどことなくアジアっぽいポルトガルの首都・リスボン。


何気ないフォントの看板でも、なぜか『R』だけは特徴的なポルトガルの首都・リスボン。


歩行者用の信号がやたら低く、こんな至近距離で写真を撮らせてもらえるポルトガルの首都・リスボン。


乗りたかったセグウェイを頻繁に見つけたポルトガルの首都・リスボン。どっかで、乗りたい。


『今回のアルバムジャケットの撮影はリスボンなんですぅ~』なんて、アイドルが言ってもおかしくない印象的な街、ポルトガルの首都・リスボン。


ガイドブックに乗ってたサクランボ酒を売るお店。なかなか見つけられずに、あきらめたときに出会えた。ものすごく濃く、そして安い、ジンジャーニというお店があるポルトガルの首都・リスボン。



嫁さんに写真をお願いしてきた女性は、三輪明宏のようなカチューシャとデコの広さと髪の色だった、ポルトガルの首都・リスボン。


日本では食べたことの無い、ずっしりとした重みのある、そして上品な甘さを持つエッグタルトが名産の、ポルトガルの首都・リスボン。


こんなレトロなエレベーターがある、ポルトガルの首都・リスボン。


旅行をしているとよく歩く。なので、ストレッチは欠かせない、ポルトガルの首都・リスボン。いや、リスボンだけに限らず。


アラレちゃんの警察が乗っているパトカーなんて、この世にあるわけないと思っていたが、発見してしまった。これで、さすがにカーチェイスは出来ないだろう、ポルトガルの首都・リスボン。


コンビニ代わりのワインとタバコを売ってるお店が、売りにだされていた。少し寂れている、ポルトガルの首都・リスボン。


町中が石畳で、こうやって補修をしている。手作業で一個ずつ。手作業で一個ずつな、ポルトガルの首都・リスボン。


ユーラシア大陸の最西端が近くにある。ものすごい崖で、水平線が美しかった。先には、アメリカ大陸があるのだが、昔地球が平面だと思われていた時代、この水平線の先に、まさかアメリカ大陸なんてものが存在するなんて考えたのだろうか。ただ、そんなことより、崖にくるとサスペンスごっこをしたくなる、ポルトガルの首都・リスボン。


一生分の小いさな火傷を治す量はあるだろうというアロエが生えていた。火傷を治して、毎朝アロエヨーグルトを食っても、なくならないだろうという程大きなアロエがある、ポルトガルの首都・リスボン。


真ん中の便器が壊れたのだろう、そして修理をしたのだろう。ただ、同じ便器がなかったのか、新しい真ん中の便器だけ形が違っていた。それはそれで、味がある、ポルトガルの首都・リスボン。


鴨の焼き飯は美味かった。3人で食べるのではなく、独り占めしたかった。料理はそこまで安くないが、美味かった、ポルトガルの首都・リスボン。


リスボン、日本に売っている地図では左の端の端にある町。世界地図の真ん中ではなく、世界地図の外側を見ている横顔のような国の形。

かつては華やかだったのだろう。廃れた印象が少し強かった。でも、人は明るく、飯は美味い。何だか、それだけで別に十分な気もする。


次に行ったのは、ポルトガル発祥の町、ポルト。また、大目の写真を投稿します。

2011年10月14日金曜日

愚痴、愚痴、とミーアキャット。

日本に帰る日が刻一刻と近づいてきている。12月の頭に、イギリスを出発して、今までお金が無かったので周ることが出来なかったヨーロッパを周って帰ろうと思っている。

まぁ、このヨーロッパ旅行の段取りが大変で、大変で。



それはさておき、日本に帰る日が近づいてきて、ちょっぴり嬉しい。チョッピリなんて、かわいい表現を使ったが、日本に帰ることが楽しみになっているのは事実。

まず一つ、嬉しい理由は仕事が出来ることだ。と同時に、渡英前に働いていた会社で、いかに自分が未熟で甘い考えで仕事をしていたか、後悔もしている。本当に迷惑をかけたな、と思うことがある。

日本に帰って、きちんとした仕事について、責任のあるポストについて、ガンガン働きたい。ガンガン働いて、ガンガン遊びたい。そして、ズルズルうどんを食べたい。



渡英をする理由として、海外で苦労を買ってしたいという気持ちと海外で色んな人と働きたいという気持ちがあった。

その理由の一つである『海外で色んな人と働く』という経験について。

正直、仕事のレベルは日本のほうが遥かに高い。個人個人のレベルの違いは歴然だ。責任感の強さもまったく違う。全体的すぎるとも言い切れないが。

ただ、海外での良いところは、任せられる範囲が広いので、個人個人の可能性が大きいという点。また、会社に雇ってもらっているという感覚ではなく、契約をしているという感覚で働いているという点。

契約をしているので、仕事が出来ないのであれば、バイトであれ首を切られる。これはシビアだった。だから、仕事が出来るのであれば、会社に対しての主張も半端ない。主張をしなければ、誰も何も気にしてくれない。

ただ、やはり今ハンバーガーレストランで働いていて思うのは、主張する割には、カスも多いということ。日本でウェイトレスといえば、ただのバイトちゃんというイメージが強いかもしれないが、イギリスでのウェイトレスはチップで稼げるので、一つのキャリアにもなる。また、バイトでも、手を挙げれば責任のあるポストにつけるし、学歴関係なく、キャリアを築ける。

ただ、カスも多い。

お前ら、そんなカスな仕事してて、チップもらって、ええ身分やのぉ、こらぁ。と思うことが頻繁で、最近はそれに対して、腹が立ってくることも多く、自分自身もバーテンダーではなくて、ウェイターとして働けば、いいのにと思うのだが、バーテンダーやらウェイターやら、どんぐりの背比べ的な感じがするので、もっと責任があって、可能性の広い仕事に就くのが、いいに決まっているという風に自分自身に言い聞かせる。

だから、早く日本で働きたいと思うのである。


だいぶ、愚痴っぽくなってしまった。いや、愚痴だった。だって、カスが多いから。カスのくせに、私は主人公なの的な態度がたまらんのだ、僕にとっては。

また、愚痴を言ってしまった。外国人は働かないというイメージがあると思うのだが、ほぼ当たりである。ただ、中にはすごい仕事の出来る奴もいる。いる。


今回のブログはただの愚痴だったので、写真はなし。その代わりと言っちゃなんだが、イギリスで今、ミーアキャットが流行っているのだが、そのきっかけになった保険サイトのCMを紹介。

イタリア訛りの英語を話す、ミーアキャットが、最近保険サイトを介して保険を契約した人のもとに行き、『今回は保険を契約してくれて、ありがとう。特典として、ミーアキャットのぬいぐるみをあげるよ』と伝えるだけのCM。

このCMから、simplesという英語が普段から使われるようになった。意味は、日本語のシンプルと一緒で、『簡単でしょ』的なニュアンスである。



いきなり、家にミーアキャットに訪問されると、そら気味悪い。

そして、同じパターンでもう1本。今度は、会社に訪問されるパターン。保険サイトを介して、車の保険を契約した人のオフィスに訪問するパターン。



そら、いきなりこんな小動物が訪問してきて、保険契約したでしょ、おめでとう、なんていわれると
気味悪い。

最後に、同じパターンで、今度は飛行機に乗って、訪問するパターン。


仕事柄、気味悪がられること間違いないし、こんな小動物が飛行機に乗っていることが気味悪い。


本当にミーアキャットのぬいぐるみを見かけるし、新聞記事でも、ミーアキャットの記事を見かける。

今日なんて、ホンモノのミーアキャットが、横に置かれた3Dテレビに映ったミーアキャットを、見ているという写真が大きく載っていた。記事もすごく短く、何のニュースなんかもわからん記事を見かけた。

でも、チョッピリかわいい。

2011年10月7日金曜日

ロンドングラフィティとマルゲリータ。

いやいや、先週は本当に暑かった。8月の半ばに、『もう夏終わり』なんて言っていたが、今年一番の暑さが、先週やってきた。

おそらくピークは30度弱だったか。久しぶりの暑さに、正直バテた。ただ、この暑さも寒くなれば恋しくなるわけで、今年暑い日の最終日に、自転車でロンドンめぐりにでかけた。

目的地は、サンドウィッチマンのバイトで一緒だったフェデリコの家。アムステルダムに行くというので、プチお別れ会とでも言ったところか。

ただ、その途中、せっかく南ロンドンまで行くのだからと、ロンドンでのグラフィティ(いわゆる落書き)の聖地にも立ち寄った。


日本でも最近、バンクシー監督の『Exit through the gift shop』が公開されたようで、見られた方もチラホラいるのでは。

そのバンクシーが、2008年に開催した『the can festival』を行った場所が、waterloo駅の近くのトンネルにある。

ロンドンも日本と同じように、壁への落書きは違法行為。ただ、ただ、今回僕が行ったトンネルは落書きエリアとして、一般に開放されている。なので、普段はあまり見ることの出来ない描き手を見ることが出来る。



トンネルの入り口に書かれている『authorised graffiti area』の文字。


一歩中に入れば、この通り。もうめちゃくちゃ。


ロンドンで活動しているTeam Robboのグラフィティ。バンクシーとのグラフィティ戦争は有名。


さっそく、いました。グラフィティアーティスト。学生っぽい身なりの2人組。ここでの活動をきっかけに、稼げるアーティストとなるのだろうか。


2008年に描かれたものかどうかは分からないが、バンクシーのグラフィティ。


世間的には、違法のグラフィティは合法なのに、駐車は禁止。


これも、Team Robboの作品。






なかなか見ごたえのあるトンネルだった。また、近いうちに出かければ、少し変わっているのだろう。



その足で、フェデリコの家に。ロンドンは、違法か合法かよくわからないことが多い。たとえば、このフェデリコが住んでいた家は、空き家。そこを占拠して住んでいた。この合法占拠をするには、EU圏内の人で無職の人という条件がある。

イギリス内で、空き家の数がホームレスの数より多いという現象があったそうで、ならばホームレスに家を与えればいいじゃないという論理。

それを利用して、EU圏内から多くの若者が流れてきている。もちろん、その空き家のオーナーがそれを見つけて、裁判所に訴えれば、彼らは出て行かなければならない。多くの場合は。

家賃もタダで、都心から結構近く、住んでいる人もいいし、と思ったが、秩序が無い。ちょっと汚いし、ガスボンベもどっかから持ってこないとダメ、と色々面倒そう。

住んでいる人たちは、流れて生きている若者なので、そこらへんは気にしないのだろうが。

ということで、その家には屋上があり、そこでフェデリコとビールでカンパイ。夏の日差しにビール。本当に気持ちよかった。


そのあと、家の前にあるイタリアンでマルゲリータを購入。イタリア出身のフェデリコは、ロンドンで一番美味いと言っていたが、特別感はなかった。申し訳ないぜ、フェデリコ。

段々と寒くなってきたロンドン。もう本当に夏は、終わり。