2012年4月23日月曜日

お仕事。

だいぶん、更新が遅れていることは、ご愛嬌。

とうとう、仕事が決まった。



大学浪人、そして、留年。そして、入社先は、北大阪の小さな出版社。そこで、広告の企画提案営業。

そして、2年間勤めて、退社。そして、結婚して、ワーキングホリデーのビザを使い、イギリスへ。

コネもなく、アテもなく、2年間のイギリス生活をなんとか終え、帰国したのは今年の1月末。

そして、3ヶ月の転職活動を経て、内定。



とにもかくにも、一安心。



この転職活動で、ひしひしと感じたことを備忘録兼ねて、書いておこうと思いブログを更新しました。



いわゆる、大手と言われる会社にはなかなか書類さえ通らないということが、立て続きに起こった。その理由は明確で、30歳を目の前にして、さらに2年の社会人ブランクがある、という点。

この理由が非常に多かった。

僕の前職は、自社媒体の広告企画営業。そして、今回主に挑戦したのが、メーカーか商社の海外営業。一番最初に躓いたのが、異業種への転職は、難しい。さらに、海外営業は未経験を採用しずらい、と言われたこと。

浅はかだった自分の考えに悶々としながらも、前向きに就職活動をしようと思った。


面接も、元々超得意ではないが、色々な会社の面接を重ねる上で、マシになった。自分の言いたいことは、言う。

僕のキャリアだと、突っ込まれることが多い。仕事以外のことで突っ込まれることが多い。イギリスの生活の話がほとんど。だから、その点で自分らしさを出すことが出来、評価していただいた部分はあるかも。その際に興味を持ってもらったのは、やはり完全出来高制のサンドウィッチ販売だった。



新卒のときも同じだったのだが、インターネット上に出ている求人に、クリックして、軽い吟味でエントリーすることがイヤだったのだが、今回は、少しでも引っかかれば、エントリーしていた。といっても、エントリー数は少ないだろうが。


異業種ということで、どのメーカーでも言われたことは、下積みが必要だ、と。そして、覚えないといけないことが、山ほどある、と。

そこは承知で、やる気満々丸です!とアピールをしまくった。結果、数社から良い評価をいただいて、条件と業務内容が良いところを選んだ。


最後に大手と中小で揺れたが、早く仕事を覚えて、早く戦力として働かざるを得ない状況に置かれる中小にした。


小さな商社で海外営業として、次のステップを歩む。そして、同時進行で、自分自身のスキルを上げるための、行動もしていこうと思う。


いったん、このブログの更新はストップします。ただ、なるべく早い段階で、仕事について、再開したいと思います。

ココ最近も、かなりの更新頻度が低かったので、長い目で次の更新をお待ちあれ。


更新すれば、ツイッターでお知らせすます。ツイッターで、「うえだだいすけ」と検索を。


いったん、ありがとうございました。

2012年3月22日木曜日

ヒビコレ、前進。あるのみ。

「いらっしゃいませ」という声が流れるアプリを作ればいいと感じる。

もちろん、そんなアプリを店員が使うことを許す上司もいなければ、客もいないだろうが。ただ、そう感じるほど、店員の「いらっしゃいませ」ほど、心が篭っていないものはない。もちろん、全てではない。


日本のサービスは世界で一番だと思っていたが、「愛想が良い」ということが一番ではない、と感じるようになった。仕事や仕事以外で嫌なことがあったのだろうなと感じる店員が日本国外には山ほどいる。ただ、それが自然で、その接客は別にイヤに感じることはない。

もちろん、接客のプロは日本に山ほどいて、世界から注目される産業であることは間違いない。ただ、その接客を百貨店から町の八百屋にまでは求めてはいけない。むしろ、八百屋では百貨店並みの丁寧な接客よりも世間話が出来るくらいの壁の無い接客が良い。



そんなことを思いながら、日本人の自分が海外でも戦えるように、どこを伸ばしていくべきか、なんてことを考える。微々だが。


ある老舗メーカーから内々定をいただいた。ありがたい。そのメーカーが作っているものには興味がない、と面接の冒頭で述べた。その老舗は面接の場にはいなかったトップの方が変革をしたいと願っているそうで、この結果には正直驚いた。

面接官と僕は馬が合わないだろう、というほど言い合った。それが、ふたを開けてみると良い結果だった。圧迫面接とは違うと感じた。トップの顔色を見ての判断のように感じた。

ただ、自分にとってもチャレンジで、大変な仕事かもしれないが、と悩んでいた。

1週間ほど待っていただいたので、返事をしようと考えている。今回はお断りの返事をしようと思う。ただ、会社を退社して、ワーキングホリデーで2年間日本を離れていたことが、完全に内内定につながった。



2年間のワーキングホリデー期間をブランクととる企業はたくさんある。ただ、職務経歴書によって、その印象はだいぶ変わる。相手に伝わるということを意識して、引き続き仕事を探します。


2012年3月8日木曜日

貴殿と僕と、ロールとモデル。

ネットが開通し、新しい生活がスタート。

当たり前だが、海外から帰国して、住むところも無ければ、働く場所もなし。いわゆる、一般的な生活に戻るには時間がかかる。

帰国して5週間。家は決まり、ネットも開通。しかし、仕事が決まらない。

決まらないのは当然で、就職活動を始めて3週間弱。書類審査が1週間、面接の結果が出るのに数日、うんぬんかんぬん。さらに、就職した会社を退職して、無職として、海外に行き正社員でなく働き、2年してビザが切れたから帰国して、前の職種とは違う会社で、即戦力として使ってくれる会社は、なかなか無いわけで。

僕は、ここに愚痴を書くわけではない。

こういう過程になることは、まぁ予想通り。ついでに言うと、新卒のときにあまりしなかった業界研究、企業研究を今さらしていて、色々な仕事を受けている。なので、自分から応募しておいて、何だが「なんで、書類審査通ったんだろか。」と思うこともある。

で、結局のところやっぱり今までやっていた広告っぽい仕事、企画提案を出来る営業に魅力を感じる。それとも、正社員ではなく、営業経験を生かして、派遣でも契約でも海外営業を出来るようにしようか、なんてタイムリーに考えている。

とにもかくにも、帰国してから、色々な知り合いの頑張りから勝手に力をもらっているので、引き続き頑張ろう。



ありがたいことに、このブログを色々な人に見ていただいている。ですので、仕事を辞めて、海外に修行に行こうと思っている人の、ロールモデルとなるために、今後も就職活動頑張ります。

就職活動しながら、自分の目標に向けて、個人活動も進めようか、なんて考え中。しかし、そんな時間なし。

ついで、最近写真なんて、全く撮っていないので、写真もなし!

2012年2月19日日曜日

帰国と帰国とバタバタ生活と就活。

ブログ更新をだいぶん空けてしまった。

というのも、2年間のイギリス生活から帰国して、バタバタしていたからである。やっと少し落ち着いた感が出てきた。

落ち着いたところで、就職活動を始めたのだが、現在1社応募して、面接に進み、面接で落ちた。明らかに準備不足。

イギリスの2年間のことを気負いすぎても、意味がないような気がした。ただ、そこの点を少しでも評価してくれる会社があれば、いいが、まずは前職の経験をどう次の仕事に生かせるかを考えたい。

しかし、2年間のイギリス生活も、僕の中では、無下に出来ない。エゴのジレンマだ。

ともかく、今は、日本の書籍を読んで、日本語を戻したい。「日本語を戻したい」なんて言うと、英語がベラベラで、日本語が片言になってしまったのか、と思われるかもしれないが、イギリスでも毎日日本語を話していた。むしろ、話さない日はなかった。

ただ、日本語の書籍を読むのは久しぶりで、正直難しい言葉が出てこない。だから、今は日本語を読んで、吸収していくことに注力したい。



社会人を一度離れ、また日本社会に復帰して、どのようなキャリアを作っていくか、今後とも、少しずつではあるが、このブログで更新していきたい。そのことで、自分自身のケツを叩くことが出来れば・・・という意味も込めて。



先日、ランニングシューズを買いに靴屋に入った。ヨーロッパでは見たこともない、カラフルな陳列棚。目を奪われた。こういうことって、外国人にとっては、目新しいのだろうな、と思った。

では、また改めて就職活動の報告と、僕のボヤキを書いていきます。

2012年1月20日金曜日

バルセロナとガウディとぬいぐるみ。

マドリードから、バルセロナまでちょっとハイクラスな夜行バスを使った。正直、もっとすごいものを想像していたので、ぼちぼちといった感じ。ただ、ネットも見られて、テレビも各席についていて、水も飴ちゃんももらえたので、コストパフォーマンスはよかった。




バルセロナは、ガウディの建築を見る目的で向かったのだが、期待通り素晴らしいものだった。友人のアドバイス通り、街の北に位置するグエル公園には、途中でパンを買って出かけた。



これが正解で、けっこうな坂道を上っていき、素晴らしい景色を目の前にすると腹もへるもんである。パン屋のパンが美味く、日本のパンを食べているようで嬉しかった。



バルセロナは、2泊と短く、体調も悪かったので、宿で休憩をたっぷり取れたような気がする。その体調の悪さを吹き飛ばすくらい、グエル公園をはじめガウディの建築は素晴らしいものだった。想像とはまったく違うサグラダ・ファミリアが完成した後に、もう一度見てみたい。





そういえば、サグラダ・ファミリアでこの旅で一番欲しいと思ったお土産を見つけた。サグラダ・ファミリアの壮大さとは大きくかけ離れた、ぬいぐるみ。購入はしなかったが、このキャラクターはどういう会議でOKされたのだろうと思った。このキャラクターは、このぬいぐるみ以外に商品がなかった。

2012年1月18日水曜日

マッシュルームとマドリードとファンシー。

イタリアのミラノには、ほとんど行く気がなかったが、スペインへの飛行機が安かったので、ミラノに行った。そして、スペインのサラゴサという街に到着。ミラノもサラゴサも、どっちも行く気がなかったが、非常によかった。




こういう、一切期待していなかった街が良かったりすると、「あー、もう一回来なあかんな。」と思う。特に、ミラノなんかは今回の僕と嫁さんの服では申し訳ない場所が多々あり、僕も嫁さんも何故か口をそろえて、「うん、ミラノは、また来る気がするわ。」と言った。(まじか。)



スペインのサラゴサも同じ。街の中心の市場は、活気があって、みかんが安かった。この旅行でみかんを大量に食っているけど、サラゴサのみかんは安くて甘かった。おっさんがつるむ感じはイタリアと似ているけど、少し廃れた町の感じは嫌いではない。



ミラノもサラゴサも1日では何も分からないけど、良い街だろう。





サラゴサからマドリードに到着して、今回初めて日本人宿に宿泊した。日本人宿では、良い出会いもあった。若いのに多くの日本人が海外で活躍していると実感した。良い刺激になった。


マドリードは、ほかのスペインの街に比べて、ご飯が美味しく、安い。アストゥリアスという北スペインの地域が一番美味しいとマドリード出身のやつが言っていたが。


マドリード出身の友人は、マドリードが世界一の街だという。


マドリードに行った日本人は、スリが多く少し危険だという。


マドリードに行ったイングランド人は、とても楽しく安い街だという。




もちろん、たくさんの人が集まる首都だから、スリもいれば置き引きもある。日本大使館の情報によれば、「首絞め強盗」も現れるらしい。「首絞め強盗」はさておいて、スリも置き引きも、スペインに限らず日本でも起こりうる。だから、言葉や文化が違うのだから、少し注意をすれば、避けられるのだろう。

僕たちは幸い、注意をしていたおかげか、何も起こらなかった。

マドリードは飯が美味い。お酒が安い。飯が美味い。お酒が安い。お酒とつまみが好きなら、マドリードは最高だろう。



一方、少し問題になっているのが、街の中心で、無許可で商売をする移民。彼らはおそらくスペイン語がままならないのだろう。白い布にブランド商品やDVDや時計などを並べて商売をする。ひとたび、警察の姿が見えると白い布についてある紐をひっぱりあげ、そそくさとその場所を離れていく。



警察が一斉に囲い込み、取り締まろうと思えば、一瞬で取り締まれる。ただ、あえてそこまでしないのは、摘発すればもっと非道な犯罪が増えるからだろうかと思った。

ローマの警察の感じと、お金をせびるだけの人達を思えば、幾段ましな気がする。違法だろうが、仕事をすることは、お金も稼げ、やることも増える。

スペインは、赤字がどんどん増えているとニュースで見た。しかし、首都のマドリードだけを見れば、一切そんな気がしない。



その中でも一番気になったのが、telephonicaという新しい商業施設。最新のゲームと、最新の携帯、最新のテレビなどの商品が売られており、子どもたちが大画面で、ゲームを楽しんでいた。日本でも見たことがない電気屋さんに、ちょっと衝撃をうけた。



マドリードは、素晴らしい街。飯が美味くて、酒は安い。人はよくて、警察もしっかりしている。

 

2012年1月8日日曜日

新しい家族と友達と兄弟と。

クリスマスとは・・・なんて堅く語る必要はない。日本のクリスマスなんてしょせんお祭りだし、みなが楽しければそれでいいじゃない、という気持ちはある。


ただ、今回のフォリアニーゼというイタリアのクリスチャンの多い村でクリスマスを過ごせたことは本当に財産になりそうだ。

「財産になった。」とあえて書かないのは、また僕たちはフォリアニーゼに戻る必要があるし、何度か戻るうちに本当に財産になるからだと信じている。




マリオの実家の隣に、ピッツァレストランがある。そこのピッツァは美味いと何度もマリオに言われた。だから、機会があれば、食べればいい、と。ただ、マリオのマンマはそれを許してくれないだろうけど、なんて何回も言われた。


そのピッツァを食べる機会を与えてくれたのは、その家の娘のテレサ。8歳になるおてんばな女の子。僕がベッドで寝ていたときに、何やらリビングから、嫁さんと小さい女の子の声が聞こえるな、と思った。しかも、女の子はイタリア語を話している。その割に、嫁さんからも笑い声が聞こえてくるのだ。

嫁さんは、イタリア語が分からない。なのに、笑い声が聞こえてくるなんて、どんだけ楽しいのだろう、と思い、重たい体を起こし、リビングに向かった。

僕を見るなり、一瞬にして怖がった表情になり、嫁さんの後ろに隠れるテレサ。しかし、だんだんと打ち明け、僕が旦那だと知ると、「アァ~」なんて言いながら、嫁さんにべったりをくっついていた。

テレサは、かなり嫁さんが気に入ったようで、何度も何度もハグしては、ほっぺたにキスをしては、嫁さんにイタリア語で話しかける。

でも、テレサはお母さんに何時までに戻ってこなきゃだめよ、なんて言われていたもんだから、泣く泣く隣のピッツァレストランへと戻ったのだが。



次の日も、次の日もテレサは、マリオの家にやってくる。マリオの家に来るというよりは、嫁さんに会いにくるという感じ。そして、テレサの2番目のお兄ちゃんを連れてきて、嫁さんを紹介する。2番目のお兄ちゃんも、テレサも、イタリアのサッカーチーム・インテルが好きだから、僕は「ナガトモ、ナガトモ、インテル!!」とコミュニケーションを取ろうとした。



そして、僕たちが出発の前夜、またテレサは、嫁さんのところにやってきて、パソコンの翻訳機能を使いながら、嫁さんとコミュニケーションをとる。お母さんから戻ってくるようにと言われていた時間が迫ったころに、パソコンの翻訳機能に、「家のピザ食べにきてほしい。」と入力しだした。今日?と聞くと、満面な笑みで、何度も何度もうなずく。僕と嫁さんは、お腹いっぱいだったが、こんなに喜んでくれているので、ということで半分ずつ食べる、ということでピッツァレストランに向かうことに。



レストランにつくと、テレサのお母さんは「え~、どうやって話をしたの?」という表情。僕たちに、ごめんね~、おてんばで、なんて表情を浮かべながらも、何食べる?と聞いてくる。覚えたてのイタリア語で、「マルゲリータ、半分、食べる」と伝え、座るように促され、子どもたちと一緒にマルゲリータを食す。うまい、うまい、ただ、お腹がはちきれそう。



コーラを飲みながら、マルゲリータとモッツァレラチーズの揚げ物と、ちょこちょこいただき、みんなで「たけし城」の若かりし頃の井出らっきょを見て、ひと時を過ごした。





テレサの兄弟も僕たちと仲良くしてくれて、2年後の8月、お祭りのときに戻ると約束。そのころには、イタリア語を習得して、戻れるように。子どもたちと約束したことは、守りたい。だから、帰国後すぐにお金を貯めよう。イタリアに新しい家族と友達と、小さい兄弟が出来た。



イタリアは良い国だと思うが、家族と触れ合えることが出来れば、もっと良い。2年後の8月に戻れるように、頑張ろう。


2012年1月1日日曜日

南イタリアの小さな村のフォリアニーゼとバー。

日本人は、イタリア人に似ている、とイタリア系のイギリス人の人に言われたことがある。もちろん、それは容姿の話ではない。それは、家族の絆の話。






クリスマスに訪れたのは、友人のマリオはいないがマリオの実家。南イタリア・ナポリから50キロほど離れた場所にあるフォリアニーゼという村。人口3,000人なんて聞いたいたから、どんな小さい村かと思っていたら、3,000は超えているだろうというくらいの人。そして、若者。クリスマスシーズンは、日本のお正月と一緒で、都市に出ている人も実家に戻ってくる。そして、戻ってきた若者は、連絡を特にとることなく、村に10件はあるバーに集まる。





家から車で、村の中心に向かい、バーの中に人がいるか確かめる。そこにグループがいれば、バーの前に車を止めて、バーに入ってビールを飲む。久しぶりの再会に、会話も弾む。そして、2件目、3件目とバーの梯子は続く。





夜の8時、9時を過ぎたころに、いったん帰宅。



お母さんに、「どこ行ってたの?」と聞かれ、「バー」と答えると、「マンマミーア!」と一言。暖炉がある、キッチンに家族が集まり、食事が始まる。



この旅の前に、友人のマリオが、何度も胃をでっかくしていけよ、と忠告してきた。何回も、何回も。食事が始まって、その意味がわかった。





目の前に、前菜として僕の好物の魚介類が出てきたもんだから、ちょっと欲張って多めに食べた。そして、そのあとに、暖炉の火で焼いた牛肉と豚肉のステーキと、ピリ辛のソーセージ。この時点で、僕は吐きそうだった。ただ、食事が美味しいもんだから、食べたい気持ちは強いのだが、空腹でのバーの梯子のせいで、酩酊状態。



マリオの弟の、ロベルトが気を遣ってくれ、お腹いっぱいやろ?と何度も聞いてくれ、僕は白旗を上げて、寝室に戻った。



その後、自家製のティラミスを僕は食べれず、寒気が一気に訪れ、まさかの本気ダウン。息が荒くなり、毛布に毛布を重ねる毛布のミルフィーユ状態で、いつの間にか就寝してしまっていた。